- 万葉調を以て凡百の物事を詠まんとならば大体において賛成致候。
~正岡子規 - 作歌を万葉集から学ぶといふときに、単に万葉の「精神」といふもののみを引離しては学ばない。その言葉も形式も引くるめて学ぶ。
~斎藤茂吉 - 万葉集の歌は、この道の親なるから、歌ゆむ人の先読みつべきふみ也。
~上田秋成 - 万葉集は殊のほか古代のものなれば、今の詠格には証拠としがたきこと多し。(万葉集は格別に古い時代のものなので、今の歌の詠み方には拠りどころとし難い事が多い)
~本居宣長 - それ歌書の中には万葉集より古きはなし。これを学ばずば歌学といふべからず。
~荷田在満 - 万葉集は只(ただ)和歌の竈(かまど)にて、箱の中に納めて持つべし。常に披(ひら)き見て好み読むべからず。(万葉集はまさしく和歌の竈ともいうべき大切なものであるから、箱の中に納めて持っているのがよい。いつも開いてやたらに好み読んではならない。和歌の詠み口を損なうものである)
~藤原顕季 - 集は、古万葉。古今。(和歌の集は、なにより万葉集であり、古今集である)
~清少納言 - 万葉集の歌はすべて丈夫(ますらを)の手振(てぶり)なり。(万葉集の歌はすべてたくましい男子の風体である)
~賀茂真淵 - 『万葉集』は、愛と恋の聖書。
~永井路子 - 万葉人にとって、恋とは「孤悲(こひ)」であった。好きな人と離れていて独り悲しむこと。それが恋であった。
~伊藤博
斎藤茂吉(1882年~1953年)は大正から昭和前期にかけて活躍した歌人(精神科医でもある)で、近代短歌を確立した人です。高校時代に正岡子規の歌集に接していたく感動、作歌を志し、大学生時代に伊藤佐千夫に弟子入りしました。一方、精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学をはじめ、青山脳病院院長の職に励む傍らで、旺盛な創作活動を行いました。
子規の没後に創刊された短歌雑誌『アララギ』の中心的な推進者となり、編集に尽くしました。また、茂吉の歌集『赤光』は、一躍彼の名を高らかしめました。その後、アララギ派は歌壇の中心的存在となり、『万葉集』の歌を手本として、写実的な歌風を進めました。1938年に刊行された彼の著作『万葉秀歌』上・下は、今もなお版を重ねる名著となっています。