大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

繩の浦ゆそがひに見ゆる・・・巻第3-357~359

訓読 >>>

357
繩(なは)の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島 漕(こ)ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも

358
武庫(むこ)の浦を漕(こ)ぎ廻(み)る小舟(をぶね)粟島(あはしま)をそがひに見つつ羨(とも)しき小舟

359
阿倍(あへ)の島 鵜(う)の住む磯(いそ)に寄する波 間(ま)なくこのころ大和(やまと)し思ほゆ

 

要旨 >>>

〈357〉縄の浦の背後に見える沖合の島、その島の辺りを漕ぎめぐっている舟は、釣りをしている最中のようだ。

〈358〉武庫の浦を漕ぎめぐっている小舟は、粟島を後ろに見ながら都の方へ漕いで行く。ほんとうに羨ましい小舟よ。

〈359〉阿倍の島の、鵜の棲む磯に絶え間なく波が打ち寄せている。その波のように、この頃はしきりに大和が思われる。

 

鑑賞 >>>

 山部赤人による瀬戸内の羈旅歌。357の「縄の浦」は、兵庫県相生市那波の海岸。「そがひ」は、後ろの方。358の「武庫の浦」は、武庫川の河口付近。「粟島」は、淡路島、播磨灘の島、四国の阿波など諸説あります。359の「阿倍の島」は未詳ながら、大阪市阿倍野区とする説があります。上3句は「間なく」を導く序詞。

 山部赤人奈良時代の初期から中期にかけて作歌がみとめられる宮廷歌人(生没年未詳)です。『古今和歌集』には「人麻呂は赤人が上に立たむこと難く、赤人は人麻呂が下に立たむこと難くなむありける」と記されており、柿本人麻呂としばしば並び称されます。彼が活躍した時期は、人麻呂より20年ほど後で、聖武天皇即位の前後から736年までの歌(長歌13首、短歌37首)が『万葉集』に残っています。