大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(38)・・・巻第20-4423~4424

訓読 >>>

4423
足柄(あしがら)の御坂(みさか)に立(た)して袖(そで)振らば家(いは)なる妹(いも)はさやに見もかも

4424
色深く背なが衣(ころも)は染めましを御坂(みさか)賜(たば)らばまさやかに見む

 

要旨 >>>

〈4423〉足柄山の足柄峠に立って袖を振ったならば、家の妻がはっきりと見るだろうか。

〈4424〉夫の着物を濃い色に染めればよかった。そうしたら足柄峠を通していただくときに、はっきりと見えることだろうに。

 

鑑賞 >>>

 武蔵の国の防人の歌。埼玉郡(さきたまのこおり)の上丁、藤原部等母麻呂(ふじはらべのともまろ)とその妻の贈答歌。「足柄の御坂」は、相模国から駿河国へ越える足柄峠。急峻な坂として恐れられ、そのため神のいます坂とされたようです。この時代、東国から西の方に行くには、東山道なら碓氷の坂(碓氷峠)、東海道なら足柄の坂(足柄峠)のいずれかを越えて行かねばなりませんでした。箱根路が開かれるのは後の時代のことです。「立して」は「立ちて」の方言。「家(いは)」は「いへ」の方言。「見も」は「見む」の方言。袖を振るのは、衣服の袖には魂が宿っていると信じられており、離れた者との間で相手の魂を呼び招く呪術的行為でした。4424の「御坂賜らば」は、御坂の神がそこを越えることをお許しくださったならば。「まさやか」の「ま」は、接頭語。はっきりと。

 この時代、東国から西の方に行くには、東山道なら碓氷の坂(碓氷峠)、東海道なら足柄の坂(足柄峠)のいずれかを越えて行かねばなりませんでした。箱根路が開かれるのは後の時代のことです。

 

 

 

東海道東山道旧国名

東海道
伊賀(三重)/ 伊勢(三重)/ 志摩(三重)/ 尾張(愛知)/ 三河(愛知)/ 遠江(静岡)/ 駿河(静岡)/ 伊豆(静岡・東京)/ 甲斐(山梨)/ 相模(神奈川)/ 武蔵(埼玉・東京・神奈川)/ 安房(千葉)/ 上総(千葉)/ 下総(千葉・茨城・埼玉・東京)/ 常陸(茨城)

東山道
近江(滋賀)/ 美濃(岐阜)/ 飛騨(岐阜)/ 信濃(長野)/ 上野(群馬)/ 下野(栃木)/ 岩代(福島)/ 磐城(福島・宮城)/ 陸前(宮城・岩手)/ 陸中(岩手)/ 羽前(山形)/ 羽後(秋田・山形)/ 陸奥(青森・秋田・岩手)