訓読 >>>
4423
足柄(あしがら)の御坂(みさか)に立(た)して袖(そで)振らば家(いは)なる妹(いも)はさやに見もかも
4424
色深く背なが衣(ころも)は染めましを御坂(みさか)賜(たば)らばまさやかに見む
要旨 >>>
〈4423〉足柄山の足柄峠に立って袖を振ったならば、家の妻がはっきりと見るだろうか。
〈4424〉夫の着物を濃い色に染めればよかった。そうしたら足柄峠を通していただくときに、はっきりと見えることだろうに。
鑑賞 >>>
武蔵の国の防人の歌。埼玉郡(さきたまのこおり)の上丁、藤原部等母麻呂(ふじはらべのともまろ)とその妻の贈答歌。「足柄の御坂」は、相模国から駿河国へ越える足柄峠。急峻な坂として恐れられ、そのため神のいます坂とされたようです。この時代、東国から西の方に行くには、東山道なら碓氷の坂(碓氷峠)、東海道なら足柄の坂(足柄峠)のいずれかを越えて行かねばなりませんでした。箱根路が開かれるのは後の時代のことです。「立して」は「立ちて」の方言。「家(いは)」は「いへ」の方言。「見も」は「見む」の方言。袖を振るのは、衣服の袖には魂が宿っていると信じられており、離れた者との間で相手の魂を呼び招く呪術的行為でした。4424の「御坂賜らば」は、御坂の神がそこを越えることをお許しくださったならば。「まさやか」の「ま」は、接頭語。はっきりと。
この時代、東国から西の方に行くには、東山道なら碓氷の坂(碓氷峠)、東海道なら足柄の坂(足柄峠)のいずれかを越えて行かねばなりませんでした。箱根路が開かれるのは後の時代のことです。