大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(39)・・・巻第20-4382

訓読 >>>

ふたほがみ悪(あ)しけ人なりあたゆまひ我(わ)がする時に防人に差(さ)す

 

要旨 >>>

ふたほがみは意地の悪い人だ。急病に苦しんでいる私を防人に指名するなんて。

 

鑑賞 >>>

 下野国の防人、那須郡(なすのこおり)の上丁、大伴部広成(おおともべのひろなり)の歌。「ふたほがみ」は語義未詳ながら、「かみ」を「守」として長官・首長とする説や、二心ある人の意とする説などがあります。「悪しけ」は「悪しき」の方言。「あたゆまひ」は、急病の意か。「差す」は、指名する。病気の身でありながら防人に指名されたことに強い不満を言っており、多くの防人歌が防人に任じられたことを運命的なものとして受け入れている中ではめずらしいとされます。また、このような思い切った表現で怒りを公にすることが許されたこの時代の大らかさが感じられる歌です。

 

軍防令による兵役義務

 大宝令における「軍防令」の規定では、正丁(21歳から60歳までの男子)は3人に1人の割合で兵役につくものと定められていました。

 兵士たちは各国に置かれた軍団に入り、その人員は普通1000人で、約1か月の訓練を受けました。租、庸、調、雑、徭などの課税のほかに、この兵役は農民にとって苦しいものでしたが、それでも、これは国元でのことであり、もっと辛い役割がありました。

 それは遠い都に遣られる衛士と、さらに遠方の九州につかわされる防人です。衛士は、天皇の護衛隊のことで、五衛府に属して宮門の整備や雑役に当り、任期は1年。防人の任期は3年でした。

 兵士の全員が衛士や防人になったわけではなく、中央政府から提供を命じられた国司が、正丁の中から該当者を選抜しました。ただ、任命の対象から外された者もあり、父子、兄弟の間から既に兵士が出ている者、父母が高齢だったり病気だったりした者のほか、その家に当該者以外の成年男子がいない場合などでした。

 また、3年という任期は、あくまで任地に着いてからの計算であり、出立して任地に着くまでの何か月かは含まれませんでした。