大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

山の端にいさよふ月の・・・巻第6-1008

訓読 >>>

山の端(は)にいさよふ月の出(い)でむかと我(あ)が待つ君が夜(よ)は更けにつつ

 

要旨 >>>

山の端でためらっている月のように、私が待っているあなたが(見えずに)、夜は更けていく。

 

鑑賞 >>>

 忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)が、友人の来るのが遅いことを恨んだ歌。忌部首黒麻呂は、天平宝字2年(758年)に外従五位下。「山の端」は、山の稜線。「いさよふ」は、ためらう、ぐずぐずして進まない。この歌とよく似た歌が、巻第7-1071、1084にあります。

 なおこの歌は、第4・5句の「我が待つ君が夜は更けにつつ」を一続きのものと見れば、まともに意味がとれないことから、「手腕が足らぬ」とか「表現が難渋して一貫していない」などの低い評価が与えられています。窪田空穂も「手腕がたらぬために第四句のごとき無理のあるものとなった」と評しています。そして、多くの注釈書では、「我が待つ君が」を受ける「来まさね」あるいは「来たらず」のような表現が省略されたものだと説明しています。一方、同じ歌の中に「不知」「将出」という二種の漢文式の表記が含まれていることから、「待君」の2字も漢文式に返読して「我が君待ちし」と訓じれば、「我が君待ちし夜は更けにつつ」となって意味の通ずる一連の表現になるとする見方があります。動詞の返読表記の例は『万葉集』に約50例あるといいます。

 

窪田空穂

 窪田空穂(くぼたうつぼ:本名は窪田通治)は、明治10年6月生まれ、長野県出身の歌人、国文学者。東京専門学校(現早稲田大学)文学科卒業後、新聞・雑誌記者などを経て、早大文学部教授。

 雑誌『文庫』に投稿した短歌によって与謝野鉄幹に認められ、草創期の『明星』に参加。浪漫傾向から自然主義文学に影響を受け、内省的な心情の機微を詠んだ。また近代歌人としては珍しく、多くの長歌をつくり、長歌を現代的に再生させた。

 『万葉集』『古今集』『新古今集』など古典の評釈でも功績が大きく、数多くの国文学研究書がある。詩歌集に『まひる野』、歌集に『濁れる川』『土を眺めて』など。昭和42年4月没。