訓読 >>>
足柄(あしがら)の箱根の山に粟(あは)蒔(ま)きて実(み)とはなれるを逢はなくも怪(あや)し
要旨 >>>
足柄の箱根の山の畑に粟を蒔いて、無事に実がなったというのに、粟(あわ)がない、逢わないなんておかしい。
鑑賞 >>>
相模の国(神奈川県)の歌。「足柄の箱根の山」は神奈川県箱根町の山。箱根は『 万葉集』ではすべて「足柄の箱根」と詠われており、地名の由来は、「足柄」が足柄山の杉材で造った船の足が軽くて速いことから足軽、それが足柄に転化した、また「箱根」の「根」は嶺や山を意味し、山の形が箱型であるためなどといわれています。「実とはなれるを」は、男女が結ばれたことを意味しており、「逢わなく」と「粟無く」の掛詞になっています。「怪し」は、不思議だ。つまり、「2人の仲はしっかり結ばれたのに、逢わないなんておかしいじゃないの!」と、男を責めている女の歌です(男の歌とする説もあります)。
一方、実際に粟を蒔いたと解する説もあります。国文学者の佐佐木幸綱は、「恋人は、防人などに徴発されて不在なのかもしれぬ。あるいは、片思いの、あこがれの君が相手なのかもしれない。ただ一人で、原生林に通ってゆき、粟の成長を確かめる娘(がふさわしいだろう。男ではなく)。鳥獣に荒らされることもなく、日光不足も耐えぬいて、ついに粟は実った。逢はなく(粟無く)はおかしいじゃないか、と解するのだ。こうとった方がずっといい歌になる」と言っています。
粟は日本人に馴染み深い古い食べ物です。粟は、『古事記』では大宜津比売神(おおげつひめのかみ)の耳に、『日本書紀』では保食神(うけもちのかみ)の額に生じ、同時に生じた稲・稗(ひえ)・麦・豆とともに五穀といわれ、神産巣日神(かむむすひのかみ)・天照大神(あまてらすおおかみ)に見出されて、人間が食べて生きる食料とされました(五穀の起源神話)。
また、箱根が交通路として開かれるのは平安時代に入ってからであり、古くは碓氷道(御殿場-乙女峠-仙石原-碓氷峠-明神峠-関本)、足柄道(御殿場-竹の下-足柄峠-関本)が利用されていました。しかし、延暦21年(802年)の富士山大噴火によって足柄道がふさがれたため、湯坂道とよばれる最初の箱根路(三島-箱根町-鷹巣山-浅間山-湯坂山-湯本-小田原)が開かれました。「東歌」がうたわれた時代の箱根の山々は、まだしかるべき道もなく、全くの原生林に覆われていたと考えられています。箱根の歌が2首しかないのは、近くに住む人々以外に馴染みのない山だったからでしょう。