訓読 >>>
4419
家(いは)ろには葦火(あしふ)焚(た)けども住みよけを筑紫(つくし)に至りて恋しけ思はも
4420
草枕(くさまくら)旅の丸寝(まるね)の紐(ひも)絶えば我(あ)が手と付けろこれの針(はる)持(も)し
要旨 >>>
〈4419〉わが家では葦火を焚いて暖を取る貧しい暮らしだが、それでも住みよい生活だった。遠い筑紫に行ったら、家が恋しく思われてならないだろう。
〈4420〉草を枕にする旅のごろ寝で着物の紐が切れたなら、私の手が縫うと思ってこの針で付けて下さい。
鑑賞 >>>
4419は、武蔵国橘樹郡の防人、物部真根(もののべのまね)の歌。4420はその妻、椋椅部弟女(くらはしべのおとめ)の歌。
4419の「家(いは)」は、イヘの訛り。「ろ」は、接尾語。「葦火(あしふ)」は、アシヒの訛り。葦を燃料として焚く火で、侘しい生活の意で言っています。山から遠い武蔵の沼沢地などでは屋内で葦を焚き、その煙が煤となり、一家中皆が目の縁だけ白い有様だったろうと言われます。「住みよけ」の「よけ」は、ヨキの訛り。「恋しけ」は、恋シクの訛り。「思はも」は、思ハムの訛りで、思わん。
4420の「草枕」は、草を枕に寝る意で「旅」に掛かる枕詞。「丸寝」は、帯も解かず衣服を着たまま寝ること。出立する夫は、明日から男手ひとつで身のまわりのことをしなくてはならない。その身を案じつつ、夫の衣の紐を固く結び、針と糸を夫の荷の中に入れます。そして、「紐が切れたら、自分の手で縫い付けるのよ」と言い聞かせます。その心の奥底にあるのは、「決して、浮気をしないでね」ということでもあります。「我が手と」は、私の手だと思って。「これの」は「この」と同じながら、指示する気持ちの強いもの。「針(はる)」は、ハリの訛り。「持し」は、持チの訛り。
出発が迫った夜、粗末な家の土間にしつらえたかまどの火を囲んでの若い夫婦の姿が目に見えるようです。夫の、住み慣れた家への思い、そして家同様、すすけて世帯やつれした妻への尽きせぬ愛情。弟女の、歌ともいえないような方言まるだしの歌には、形式のととのった都の女流歌人の、生活から遊離した恋や愛の歌のどれからも感じとることのできない、ひたぶるで切ない愛が息づいています。また窪田空穂は、「上の防人に似合った妻で、落ちついた、行き届いた人が思われる」と言っています。
防人の選抜
防人が制度化された「軍防令」によると、全国の正丁(せいてい:21~60歳の男子)のほぼ3人に1人を選抜して、諸国に設置された軍団に兵士として所属させ、その中からさらに一部の者を防人に選抜することになっていました。その徴発は国司が行うこととされていましたが、実際には、郡司(在地の豪族から選抜された行政官)の監督のもとに、その下役である里長が行ったとみられています。里は50戸からなる最小行政単位であり、今日でいえば村にあたります。里長は、村長・警察署長・税務吏員を兼ねたほどの強力な存在でした。令には、父母が老齢や病気だったり、家にほかに正丁がいない場合は選抜対象から除外するといった基準はありましたが、里長の裁量一つで運用されたには違いありません。したがって、里長との関係如何では、うまく選抜を逃れることもできたでしょう。