大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(9)・・・巻第15-3600~3604

訓読 >>>

3600
離(はな)れ礒(そ)に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも

3601
しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木(き)離(はな)れてあるらむ

3602
あをによし奈良の都にたなびける天(あま)の白雲(しらくも)見れど飽(あ)かぬかも

3603
青楊(あをやぎ)の枝(えだ)伐(き)り下ろし斎種(ゆだね)蒔(ま)きゆゆしき君に恋ひわたるかも

3604
妹(いも)が袖(そで)別れて久(ひさ)になりぬれど一日(ひとひ)も妹(いも)を忘れて思へや

 

要旨 >>>

〈3600〉離れ島の磯に立っているあのむろの木は、きっと途方もなく長い歳月を経てきたのだろうな。

〈3601〉ほんのしばらくの間でも、独りっきりでいられるものではないのに、離れ島のあのむろの木は、どうしてあんなに離れて独りでいられるのだろう。

〈3602〉奈良の都にたなびいているあの白雲は、見ても見ても見飽きることがない。

〈3603〉青柳の枝を神に捧げ、浄めた種籾をまくように、恐れつつしむべき君、そんなあなたさまに焦がれ続けています。

〈3604〉妻の袖と別れてからずいぶん月日が経つが、一日たりと彼女のことを忘れることができない。

 

鑑賞 >>>

 3600・3601は同じ人が詠んだ連作で、3600の「むろの木」は、鞆の浦福山市鞆町)のむろの木、ネズの古名。「うたがたも」は、ひとえに、きっと、の意か。3601の「しましく」は、しばらく。「あれや」は、反語。「らむ」は、現在推量の助動詞。3602は、左注に「雲を詠める」とある歌。「あをによし」は「奈良」の枕詞。「見れど飽かぬかも」は、景色を褒める成句。空に浮かぶ白雲を眺め、奈良の都の空を思慕しています。窪田空穂は、「心の拡がりの広い、形のおおらかに美しい、すぐれた歌」と評しています。

 3603は、女が男を恋うている歌。上3句は同音反復で「ゆゆしき」を導く序詞。「青楊の枝伐り下ろし」は、青柳の枝を苗代に挿して稲の発育を祈る神事のことを言っています。柳は、枝を湿地にさし立てるだけで根をおろすことがあるほど生命力の旺盛な樹木であるため、呪力をもつ神木と考えられていました。「斎種」は、忌み浄めた種籾。「ゆゆしき」は、恐れつつしむべき。「恋ひわたるかも」は、恋い続けていることであるよ、との詠歎。

 なお、3602~3611の10首には「所にありて誦詠(しょうえい)する古歌」との題詞が付されており、難波津を出航して、長井浦(広島県三原市糸崎の海岸)までの間に、旅愁を慰めるために誦われた古歌という形になっています。古歌といっても、柿本人麻呂の歌が多く、この時代とそれほど隔たりのあるものではありません。

 

 

『万葉集』の年表