大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

十月時雨にあへる黄葉の・・・巻第8-1590

訓読 >>>

十月(かむなづき)時雨(しぐれ)にあへる黄葉(もみちば)の吹かば散りなむ風のまにまに

 

要旨 >>>

十月の時雨にあって色づいたもみじの葉は、風が吹いたらそのままにに散ってしまうことだろう。

 

鑑賞 >>>

 大伴池主(おおとものいけぬし)の歌、池主は大伴家持の同族で、生没年不詳ながら、天平18年(746年)ころ、越中守だった家持の配下にあり、家持との間に交わした歌を多く残しています。

 後に越中掾(じょう:国司の第3等官)に転じ、さらに中央官として都に帰っています。記録の上では、家持との交流は20年に及び、さらに少年期にまで遡れば、2人は30年来の知己だったのではないかともいわれます。しかし、天平勝宝9年(757年)の橘奈良麻呂の変に加わって捕縛され、その後の消息が分からなくなっています。『万葉集』には29首の歌を残しており、勅撰歌人として『新勅撰和歌集』にも1首入集。漢詩もよくし、その才能は家持を上回っていたともいわれます。

 この歌は、天平10年(738年)10月、右大臣・橘奈良麻呂の邸宅で開かれた宴会で詠まれた歌11首とある中の1首です。橘奈良麻呂橘諸兄の子で、諸兄の死後、光明皇后を後ろ盾として勢力を拡大してきた藤原仲麻呂を廃するため、757年、大伴氏、佐伯氏などと結びクーデターを計画しましたが、発覚して捕らえられ、獄中で没しました。