訓読 >>>
3639
波の上に浮寝(うきね)せし宵(よひ)あど思(も)へか心悲しく夢(いめ)に見えつる
3640
都辺(みやこへ)に行かむ船もが刈(か)り薦(こも)の乱れて思ふ言(こと)告(つ)げやらむ
3641
暁(あかとき)の家恋しきに浦廻(うらみ)より楫(かぢ)の音(おと)するは海人娘子(あまをとめ)かも
要旨 >>>
〈3639〉波の上で浮寝をした夜、何と思って、妻がうらがなしくも夢に出てきたのだろうか。
〈3640〉都の方向に向かう船があったらなあ。そしたら、刈り取った薦のように乱れたこの思いを妻に知らせてやるものを。
〈3641〉明け方前の、故郷の家が恋しくてならぬとき、浦の辺りから梶の音が聞こえてきた。あれは海人娘子たちだろうか。
鑑賞 >>>
3639の「あど思へか」の「あど」は、どのように、「か」は疑問。3640の「もが」は願望の意。「刈り薦の」は「乱る」の枕詞。3641で、家に残した妻を思い出しているのは、「暁」が男が女の許を立ち去る時間であり、それゆえ、妻への思いが増す時間だったのでしょう。
遣新羅使のとった航路については正史にはほとんど記載がないものの、『万葉集』の巻第15に収められている歌によって、天平8年(736年))の阿倍継麻呂大使率いる遣新羅使一行の行程がある程度分かっています。
難波を出航し、瀬戸内海を西進 →敏馬浦(神戸市)→玉の浦(倉敷市)→鞆の浦(福山市)→長井の浦(三原市)→風早浦(東広島市)→倉橋島(呉市)→分間浦(中津市)→筑紫館(福岡市)→韓亭(能古島)→引津亭(糸島市)→神集島(唐津市)→壱岐島 →浅茅浦(対馬市)→竹敷浦(対馬市)→新羅へ