大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大宮の内にも外にもめづらしく・・・巻第19-4285~4287

訓読 >>>

4285
大宮の内(うち)にも外(と)にもめづらしく降れる大雪な踏(ふ)みそね惜(を)し

4286
御園生(みそのふ)の竹の林に鴬(うぐひす)はしば鳴きにしを雪は降りつつ

4287
鴬(うぐひす)の鳴きし垣内(かきつ)ににほへりし梅この雪にうつろふらむか

 

要旨 >>>

〈4285〉大宮の内にも外にも、珍しく降り積もっている大雪を、踏み荒らしてくれるな、惜しいから。

〈4286〉御苑の竹林で、ウグイスがしきりに鳴いていたのに、雪はなおも降り続いている。

〈4287〉ウグイスが鳴いて飛んだ御庭の内に美しく咲いていた梅は、この雪で散ってしまうだろうか。

 

鑑賞 >>>

 天平勝宝5年(753年)1月11日、大雪が降って一尺二寸積もった。よって自らの思いを述べた歌3首。一尺二寸は、約36センチ。

 4285の「な踏みそね」の「な~そ」は禁止。窪田空穂はこの歌について、「家持の歌としては風の変わったものである。大体として家持の歌は、対象を一応自身の中に取入れ、白身の気分と融合させた上で、どちらかというと物静かに美しく詠むのであるが、この歌はそれとは異なって、いわば大景ともいうべきものと取組み、そしてその最も言いたいことを、気分化とは無関係に、『な踏みそね惜し』と、説明に近い態度でいっているのである。この詠み方は彼としては珍しい」。

 4286は、4285に続いて、皇居にあって詠んだ歌。「御園生」は、皇居の御苑の植込み。「しば鳴き」の「しば」は、しきりに。「降りつつ」の「つつ」は、継続で、下に「ゐる」が略されています。4287の「垣内(かきつ)」は「かきうち」の約。「にほへりし梅」は、色美しく咲いていた梅。「うつろふらむか」は、散るだろうか。