大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

石麻呂に我れ物申す・・・巻第16-3853~3854

訓読 >>>

3853
石麻呂(いしまろ)に我(わ)れ物申す夏痩(なつや)せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕(と)り食(め)せ

3854
痩(や)す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を捕ると川に流るな

 

要旨 >>>

〈3853〉石麻呂さんにあえて物申しましょう。夏痩せによく効くというウナギを捕ってお食べなさい。

〈3854〉(いや待てよ)いくら痩せていても生きてさえいればいいのだから、万が一にも鰻を捕ろうとして川に流されたりするな。

 

鑑賞 >>>

 吉田連老(よしだのむらじおゆ)、通称、石麻呂という人がおり、生まれつき体がひどく痩せていて、どれほどたくさん食べても、姿は飢饉のときのようであった。そこで大伴家持がこの歌を詠んでからかった、と左注にあります。石麻呂は、百済から渡来した医師・吉田連宜(よしだのむらじよろし)の息子で、家持とは父の旅人とともに親交があったようです。「むなぎ」は、鰻の古名。3854の「はたやはた」は、万が一にも。

 史料上で鰻が初出となるのが家持のこの歌です。土用の丑の日に鰻を食べるようになったのは、江戸時代の蘭学者平賀源内の発案によるとされますが、はるか上代のころに、すでに夏痩せには鰻がいいとされていたことが窺えます。もっとも当時は、今のように開いて蒸したり焼いたりする蒲焼ではなく、鰻を丸ごと火にあぶって切り、酒や醤(ひしお)などで味付けしたものを山椒や味噌に付けて食べていたといいます。あまり美味しそうではありません。