大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(34)・・・巻第20-4390

訓読 >>>

群玉(むらたま)の枢(くる)にくぎさし堅(かた)めとし妹(いも)が心は動(あよ)くなめかも

 

要旨 >>>

扉の枢に釘を挿し込んで堅く戸締りをするように、堅い契りを交わした妻の心は動揺しているだろうか、いやそんなことはない。

 

鑑賞 >>>

 下総国の防人の歌。「群玉の」は多くの玉がくるくる回ることから「枢」の枕詞。「枢」は「くるる」とも言い、開き戸を開閉させる装置のことで、木に穴を穿ち、それに木を挿し、その木を回転させて開閉するもの。「なめかも」は「らめかも」の意で、反語、あるいは疑問か。疑問なら「動揺しているのかなあ」。

 

 

軍防令による兵役義務 

 大宝令における「軍防令」の規定では、正丁(21歳から60歳までの男子)は3人に1人の割合で兵役につくものと定められていました。

 兵士たちは各国に置かれた軍団に入り、その人員は普通1000人で、約1か月の訓練を受けました。租、庸、調、雑、徭などの課税のほかに、この兵役は農民にとって苦しいものでしたが、それでも、これは国元でのことであり、もっと辛い役割がありました。

 それは遠い都に遣られる衛士と、さらに遠方の九州につかわされる防人です。衛士は、天皇の護衛隊のことで、五衛府に属して宮門の整備や雑役に当り、任期は1年。防人の任期は3年でした。

 兵士の全員が衛士や防人になったわけではなく、中央政府から提供を命じられた国司が、正丁の中から該当者を選抜しました。ただ、任命の対象から外された者もあり、父子、兄弟の間から既に兵士が出ている者、父母が高齢だったり病気だったりした者のほか、その家に当該者以外の成年男子がいない場合などでした。

 また、3年という任期は、あくまで任地に着いてからの計算であり、出立して任地に着くまでの何か月かは含まれませんでした。