大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(19)-3668~3670

訓読 >>>

3668
大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)と思へれど日(け)長くしあれば恋ひにけるかも
3669
旅にあれど夜(よる)は火(ひ)灯(とも)し居(を)る我(わ)れを闇(やみ)にや妹(いも)が恋ひつつあるらむ
3670
韓亭(からとまり)能許(のこ)の浦波立たぬ日はあれども家(いへ)に恋ひぬ日はなし

 

要旨 >>>

〈3668〉帝の命によって遠くへ赴く使者であるとは思うけれど、旅の日々があまりに長いので、ついあの奈良の都が恋しくなってくる。

〈3669〉苦しい旅の身空にいる私だが、夜は燈火を灯している。妻は闇夜にいて、私のことを恋しがっているだろうか。

〈3670〉韓亭や能許の浦に波が立たない日はあっても、故郷の家を恋わない日はない。

 

鑑賞 >>>

 筑前国志麻郡の韓亭に停泊した時の歌。「韓亭」は、福岡市西区宮浦唐泊とされ、唐泊の港は、かつては遣新羅使や遣隋使、遣唐使などの航路の中継港として栄えました。3668は、大使の阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)の歌。「遠の朝廷」は、京から遠く離れた政庁のことで、本来は大宰府ほか諸国の国庁の総称ですが、ここでは「韓亭」を指しています。「長くし」の「し」は強意。

 3669は、大判官の壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)の歌。夜に燈火を灯しているのは、大使や副使に次ぐ重職にあったためとみられ、当時の燈火はぜいたく品でしたから、一般の生活ではほとんどあり得ないことでした。その燈火のもとで、闇夜の中にいるであろう妻を思いやっている歌です。窪田空穂は、「些末な事象で、素朴な詠み方をしているが、感を引く歌である」と評しています。3670の「能許」は、博多湾に浮かぶ能古島。「浦波」は、浦に立つ波。