大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(45)・・・巻第14-3393

訓読 >>>

筑波嶺(つくはね)のをてもこのもに守部(もりへ)据(す)ゑ母(はは)い守(も)れども魂(たま)ぞ合ひにける

 

要旨 >>>

筑波嶺のあちらこちらに番人を置いて森を監視するように、母は私を見張っているけれど、私たちの魂は通じ合ってしまいましたよ。

 

鑑賞 >>>

 常陸の国(茨城県)の歌。「筑波嶺」は筑波山。上3句は「守れども」を導く序詞。「をてもこのも」は、あちらこちら。「守部」は、山守部の略で、番人のこと。聖なる山とされていた筑波山では盗伐が禁止されており、それを厳しく監視する番人があちこちに配置されていたといいます。「母い守れども」の「い」は強意の間投助詞。「魂ぞ合ひにける」は、夢の中での出逢いを意味します。夢は身体から遊離した魂が見るものとされ、魂の次元で逢うことができれば、やがて共寝ができる、そう考えられていたようです。

 恋人たちに対する娘の母親の監視・干渉がかなり一般的だったことは、他にある幾つかの歌からも窺えます。また、「正倉院文書」の中に、養老5年(721年)の下総国葛飾郡大島郷の73戸分の戸籍が残っており、奈良時代の東国地方の家庭を想像させる貴重な文献となっています。これを見ると、父64歳、長男36歳で、2歳の孫2人(双子)がいながら、長男の妻が見当たらない戸籍がある一方、30歳以上の独身女性が何人もいる戸籍が多く見られます。別居結婚の一つの型を示しており、こうなった理由は、戸主が娘を戸籍から除かれるのを極力嫌ったからだと想像されます。班田収受法で貸与される耕地面積を減らしたくない、兵役や徭役を課せられない貴重な労働力を手離したくない等の理由があったと考えられています。娘の立場からうたったこの歌も、母親の監視を、盗伐を厳しく監視する番人のイメージに重ね、「筑波嶺のをてもこのもに守部据ゑ」との序詞が使われています。