大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

斎藤茂吉による万葉秀歌(1)

  • たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野(巻第1-4)~中皇命

     

  • 山越の風を時じみ寝る夜落ちず家なる妹をかけて偲びつ(巻第1-6)~軍王

     

  • 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ(巻第1-7)~額田王

     

  • 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(巻第1-8)~額田王

     

  • 紀の国の山越えて行け我が背子がい立たせりけむ厳橿が本(巻第1-9)~額田王

     

  • 吾背子は仮廬作らす草なくば小松が下の草を刈らさね(巻第1-11)~中皇命
  • 吾が欲りし野島は見せつ底ふかき阿胡根の浦の珠ぞ拾はぬ(巻第1-12)~中皇命

     

  • 香具山と耳梨山と会ひしとき立ちて見に来し印南国原(巻第1-14)~中大兄皇子
  • わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜あきらけくこそ(巻第1-15)~中大兄皇子

     

  • 三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなも隠さふべしや(巻第1-18)~額田王

     

斎藤茂吉

 斎藤茂吉(1882年~1953年)は大正から昭和前期にかけて活躍した歌人精神科医でもある)で、近代短歌を確立した人です。高校時代に正岡子規の歌集に接していたく感動、作歌を志し、大学生時代に伊藤佐千夫に弟子入りしました。一方、精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学をはじめ、青山脳病院院長の職に励む傍らで、旺盛な創作活動を行いました。

 子規の没後に創刊された短歌雑誌『アララギ』の中心的な推進者となり、編集に尽くしました。また、茂吉の歌集『赤光』は、一躍彼の名を高らかしめました。その後、アララギ派は歌壇の中心的存在となり、『万葉集』の歌を手本として、写実的な歌風を進めました。1938年に刊行された彼の著作『万葉秀歌』上・下は、今もなお版を重ねる名著となっています。