訓読 >>>
霰(あられ)打つ安良礼(あられ)松原(まつばら)住吉(すみのゑ)の弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも
要旨 >>>
安良礼の浜の松原は、住吉の愛らしい弟日娘と同じに、いくら見ても見飽きることがない。
鑑賞 >>>
長皇子(ながのみこ)の歌。摂津の住吉で、自らの旅情を慰めるため、ここにいた弟日娘を侍らせ、一緒に安良礼松原を眺めて詠んだ歌。「あられうつ」は「安良礼」にかけた枕詞。実際にあられが降っていたというのではなく、「安良礼」を引き出すための、皇子による造語ともいわれます。「安良礼松原」は、大阪市住吉区の松原。「弟日娘」は未詳ながら、住吉の港の遊行女婦で、また長皇子に歌を贈った清江娘子(巻第1-69)と同一人物ではないかとも考えられています。「見れど飽かぬ」は、見ても見ても見飽きない意の慣用成句。斎藤茂吉はこの歌を評し、「不思議にも軽浮に艶めいたものがなく、むしろ勁健(けいけん)とも謂うべき歌調である」と述べています。
長皇子は天武天皇の第4皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。また弓削皇子の異母兄にあたります。『万葉集』には5首の歌が載っています。子女には栗栖王・長田王・智努王・邑知王・智努女王・広瀬女王らがおり、また『小倉百人一首』の歌人の文屋康秀とその子の文屋朝康は、それぞれ5代、6代目の子孫にあたります。