大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

朝妻山の霞・・・巻第10-1817~1818

訓読 >>>

1817
今朝(けさ)行きて明日は来(き)なむとねと云ひしかに朝妻山(あさづまやま)に霞(かすみ)たなびく

1818
子等(こら)が名に懸(か)けのよろしき朝妻(あさづま)の片山(かたやま)ぎしに霞(かすみ)たなびく

 

要旨 >>>

〈1817〉今朝は帰って行き、明日は来ようと言いたいのに、朝妻山に霞がかかっているよ。

〈1818〉愛しい人の名のように呼んでみたい朝妻の、その片山の崖に霞がかかっている。

 

鑑賞 >>>

 1817の上3句は「朝妻山」を導く序詞。「朝妻」は、奈良県御所市朝妻。聖徳太子が建立した葛城寺のあたりで、「朝妻山」は金剛山だとされます。なお、2・3句の「来なむとねと云ひしかに」の原文は「明日者来皐等云子鹿丹」で訓義とも定まらず、「明日には来ねと言ひし子か」として「(今夜はお帰りになっても)明日にはまたきっと来てくださいと言ったあの子か」と解するなど、いくつかの訓みと解釈例があります。

 1818の「子等」は男性が女性を親しんで呼ぶ語であり、複数形ではありません。「懸けのよろしき」は、関係させていうのによい意。「片山」は、平野側の方にだけ傾斜面がある山。「朝妻」という名から、妻の朝の様子を思い起こしていて、共に夜を過ごした男性から見て、翌朝の妻の様子というのは、夜にもまして親密で愛しいということなのでしょう。

 なお、歌にある「霞」と同じように視界を遮る現象に「霧(きり)」がありますが、霞が自分とは距離を隔てた所にあるのに対し、霧は自らをも包み込んでしまうものと把握されていたといいます。